株式会社こしき[桜井こけし]
こけしのふるさと、鳴子温泉郷から
宮城県の北西部、大崎市にある鳴子(なるこ)温泉郷は、こけしが生まれ育った町のひとつです。
こけしの原型は、江戸時代に木地師(きじし)が我が子のためにつくった木の人形とされています。木地師とは、木工ろくろを用いて盆や椀をつくる職人のこと。木の器が広く使われていた東北地方では昔から木地師が多く住み、各地から人々が湯治に訪れる鳴子温泉のお土産品として鳴子こけしは発展しました。
「桜井こけし」は、江戸時代末期から代々続くこけし屋です。現在は5代目の櫻井昭寛さんと、6代目の尚道さんの親子で、伝統的な鳴子こけしのほか、新しい表現に挑戦した創作こけしを製作しています。
1年を通じて、木と丁寧に向き合いながらつくる
桜井こけしの持ち味は、透き通るような白い木肌にあります。
白い木肌の要になるのは、こけしの形に削り出す「木地挽(きじび)き」までの工程。原木を仕入れて皮をむき、ろくろで挽ける状態になるまで乾燥させる「木の管理」こそが大切なのだそうです。
こけしの素材となるミズキは、枝を折ると水がしたたり落ちるくらい、水分をたっぷり含んだ木。水分によって黒ずみやすいミズキを、「いかに白く乾燥させるか」という点が桜井こけしのこだわりです。
東北の山々から桜井こけしの工房に木が届くのは、秋が深まり雪がちらつき始める頃。バンガキという道具を使って手作業で木の皮をむき、丸太を何段もの井桁(いげた)状に組み上げて、屋外で自然乾燥させます。
半日以上を雪かきに費やしながら東北の長い冬を乗り越えて、春から梅雨入りまでは乾燥の進み具合を一つひとつ見極めながら屋内へ移動させます。
こうして木の管理にかける時間は、およそ1年から1年半! 皮のむき加減や、井桁の組み方、こけしの寸法に合わせて製材するタイミングによっても仕上がりが異なるため、毎年、試行錯誤を重ねています。
先人に学び、鳴子温泉とこけしの魅力を発信
いちじつ でお取り扱いしている「Reflections(リフレクションズ)」ラインは、洋風のインテリアにもすんなりとなじむ、現代的なデザインの創作こけしです。こけしには珍しいカラフルな色使いが、桜井こけしの美しい木肌によく映えています。
海外展開を目指して、父の昭寛さんと息子の尚道さんが親子2人で開発したリフレクションズライン。その背景には、「こけしを次世代につなぐために、鳴子温泉のこと、そしてこの地で育まれたこけしの文化をもっと伝える必要がある」という、尚道さんの思いがありました。
“新しいことに果敢に取り組む、若き担い手”と映りますが、尚道さんにとっては、「鳴子の歴史にならっていること」だといいます。
「記録によると、鳴子こけしの工人(こうじん)たちは、新幹線のない時代から何度も東京に足を運んで普及活動をしていたようです。今は日本人の誰もがこけしを知っていますが、歴史や背景など詳しくはわからないという人がほとんどです。もっと魅力を知ってもらうために、先人にならって、私もこけし文化を世界に広めなければ、と考えました」
伝統技法と新しいことに挑戦する精神を引き継いで
いつの時代も伝統にあぐらをかくことはなく、桜井こけしの工人たちは常に新しい技法や表現を取り入れて、歴史が紡がれてきました。
リフレクションズラインも、その挑戦する精神から生まれたもののひとつです。また、これまでは家族のみで経営していましたが、2018年に株式会社こしきを設立。現在は社員を迎えて、情報発信やギャラリーの運営、ミズキの植樹活動など、こけしづくり以外のことにも力を入れています。
「花渕山(はなぶちやま)の見えるところでつくるこけしが、鳴子こけしだ」。これは桜井こけしの先代工人が残した言葉だそうです。鳴子温泉の風土だからこそ、生まれ、育まれたこけしの文化や技術とともに、“挑戦する精神”も大切に受け継ぎながら、鳴子の地でていねいにこけしをつくり続けています。