Do kit yourself
吉野ヒノキの産地で、椅子をつくる木工所
奈良県の東吉野村は、清らかな水が流れる川と木々が生い茂る山に抱かれた、自然豊かな地域です。面積の約96パーセントが山林というこの地は、500年以上前から続く「木の産地」として知られています。
「維鶴(いづる)木工」は、村の最北にある瀧野地区に工房を構えて、地元で育まれた吉野ヒノキを用いた椅子づくりに取り組んでいます。
代表を務めるのは、藤川拓馬さん。幼い頃から木を使ったものづくりが好きで、木工所勤務を経て、2016年に維鶴木工を創業しました。「日本らしさのある、愛され続ける椅子」を目指して、日々研究と試作を重ねています。
暮らしを見つめ直すなかで誕生したキット
維鶴木工が考える「いい椅子」とは、軽くて、丈夫で、使いやすく、座り心地がよく、なおかつ美しいこと。そんな椅子を自分でつくれる家具製作キットのブランドが、「Do kit yourself(ドゥ・キット・ユアセルフ)」です。椅子のベースとなる材には、軽くて丈夫な吉野ヒノキが使われています。
ブランドを立ち上げたのは2020年。コロナ禍によって、家で過ごす時間が重視されるようになったことがきっかけでした。
「椅子をつくるワークショップをできないかと相談されることがよくあったのですが、1日では完成できないので見送っていました。家で過ごす時間が長くなっているならば、何日もかけてつくってもらうのも楽しいんじゃないか、と考えたのが始まりです」と藤川さん。
日本の風土に合った、日本らしい椅子
目指したのは、高度な技術や特殊な道具が不要で、どんな人でも職人が仕上げたものと遜色ない椅子をつくれるキットです。試行錯誤の末にたどり着いたのは、ペーパーコードを編み上げて座面をつくる手法でした。
ペーパーコードは、防水性の樹脂を浸透させた紙をより合わせてつくられた素材で、シェーカー家具や北欧家具によく使われています。とても軽く、編むことでしっかりとした強度が生まれる点は、“自分でつくる家具”に最適。さらに、夏は蒸れずに涼しく、冬に座面が冷えることがありません。
「デザイン性の高さに惹かれて選んだ素材でしたが、機能面でも日本の気候にとても合っていました。スツールの枠組みに使う吉野ヒノキは湿度にも強く、日本の暮らしに合った、日本らしい椅子になっていると思います」
最終アンカーとして、吉野林業を伝える
藤川さんは、生まれも育ちも大阪府。東吉野村に移り住み、この地に木工所を構えて起業するに至ったのは、吉野ヒノキに一目ぼれしたことがきっかけでした。
「職業柄いろんな木材に触れてきましたが、木目、香り、色み、つや、手触りがまったく違いました。木と向き合っている人たちがつくった木材の美しさに圧倒されましたね」と藤川さん。
東吉野村をはじめとする吉野川流域で行われている「吉野林業」で育まれる杉やヒノキは、年輪が細かく均一で、幹はまっすぐで節がないという特徴があります。このような美しい木材を生産するには、間伐や枝打ちといったていねいな手入れを、何世代にもわたって行わねばなりません。吉野エリアでは独自の山守制度によって地元住民らが山の管理を担い、室町時代から続く林業を維持してきました。
「100年以上前に苗を植えた人がいて、たくさんの人にバトンがつながれて、今ここに木材がある。それを家具にして皆さんの暮らしに届ける——僕たちは、最後のアンカーだと思っています。木材を取り巻く環境は厳しく、吉野林業も年々衰退しつつあります。『Do kit yourself』で実際に木に触れながら、吉野の木や森に思いをはせてもらえたらうれしいです」
日本の暮らしを考えたものづくりを
維鶴木工がある瀧野地区は、携帯電話の電波は届かず、最寄りのスーパーまでは車で約40分、工房より上流に民家はないという場所です。便利さとはかけ離れていますが、「手つかずのままの自然や昔ながらの暮らしが残されているところに魅力がある」と藤川さんは話します。
「東吉野村で生活と仕事をしているうちに、日本の暮らしをしっかりと考えたものづくりをしたい、という思いが強くなりました。昔からある技術や素材を受け止めて、今の暮らしに合う形にしてつなげていきたいです」
「Do kit yourself」で、日本に古くから伝わる「木殺し」という木工技術を採用したのもそのひとつ。さらに、和歌山県の畳屋さんと協働して、い草を使った座面の試作にも取り組んでいます。吉野材に限らず、日本の木、日本の素材、日本の技術を使って、一生愛用できる椅子をつくってもらいたい——「Do kit yourself」のストーリーは、まだ始まったばかりです。