前田工房
風前の灯火である茶箱産業の復興を目指す
「茶箱」は、茶葉の保管や運搬に用いられてきた杉製の箱です。茶葉を新鮮に保つために、内側にはトタンが施されています。湿気や虫を寄せ付けない木箱は、家庭でも親しまれてきました。実家で見たことがある方も多いのではないでしょうか。
かつては茶の産地を中心に日本各地で生産されていましたが、つくり手の高齢化にともない徐々に減少。最盛期には静岡県だけで80軒以上あった茶箱工場も、今は国内に数軒が残るのみです。
このように消滅の危機にある茶箱を、実用的な道具として次世代に残したい——そんな情熱を持って奮闘しているのが、静岡県川根本町(かわねほんちょう)にある茶箱専門店「前田工房」です。
日本のきまじめな手しごとを残したい
2016年に設立された前田工房は、川根茶の産地である川根本町で100年以上茶箱をつくり続けてきた「前田製函(かん)所」から事業継承した会社です。
親会社の「インテリア茶箱クラブ」は、「布張り茶箱」の製作・販売、クラフト教室を1999年から開催しています。代表のパイザー真澄さんは、茶箱の機能性と手しごとの美しさに惚れ込み、欧米人に人気のあった“見せる収納”として茶箱を楽しむ方法を広めてきました。
創立時から前田製函所の茶箱を仕入れていましたが、後継者がおらず存続の危機にあることを知り、川根本町の役場へ「町の産業として残してほしい」と嘆願書を提出します。パイザーさんを突き動かしたのは、「この素晴らしい手しごとを日本から無くしてはいけない!」という使命感でした。
そのときに対応したのが、現在は前田工房の社長である薗田喜恵子さん。当時は、町役場の企画課でまちづくり室長を務めていました。
川根の地で育まれた技術と文化を受け継ぐ
寝ても覚めても町のことを考えているような、熱血職員であった薗田さん。パイザーさんの嘆願を受けて、「防湿・防虫機能に優れた茶箱は、現代でも必要とされるはず。町のためにも、川根にしかない茶箱の技術や文化を残したいという気持ちが強くなった」といいます。
しばらくは町の職員としての関係が続きましたが、30年以上勤めた役所を退職。前田工房の社長として奮闘する日々が始まりました。
「パイザーさんの情熱が伝染したといいますか。まさか職人たちと一緒に茶箱をつくることになるとは、思ってもいませんでした(笑)」と、薗田さんは振り返ります。
茶箱の価値を高めて、次の世代へ
前田工房で茶箱をつくるのは、年齢も、性別も、経歴もさまざまな6名の職人たちです。最年少は30代。別世界から転身してきた若き職人たちに、前田製函所の代表として70年近く茶箱をつくり続けてきた前田宥(ひろし)さんが、技術も道具も、惜しみなく伝授してくれました。
とはいえ、事業を継承することは楽な道のりではありません。人材確保はいわずもがな、材料の仕入れ先が廃業するといった、周辺産業の衰退にも頭を悩ませられます。まるで綱渡りのような日々。それでも、現代の価値観に合わせてグレードアップすることが前田工房の流儀です。
たとえば、トタンを接合するハンダはスズ製の「鉛フリーハンダ」に切り替えました。これまでの鉛製と比べて仕入れ値は4倍以上しますが、職人たちが安全に作業できて、環境にも悪影響がありません。さらにより安心して使えるよう、トタンを缶詰に使われるブリキに変えようと動いてもいます。
「茶箱は安く提供される時代が長く続きました。でも材料にもこだわっているし、機能性も高く、手間も時間もかけてつくられる価値あるもの。その価値をきちんと伝えて、次の世代にバトンを渡したいのです」と薗田さん、パイザーさんは話します。
100年もつ茶箱を暮らしのなかに
木取りに始まり、組み立て、トタン入れ、ハンダ付け、仕上げの和紙貼りまで。「いい茶箱をつくる」という思いをひとつに、緻密な手しごとをリレーでつないで1つの茶箱が完成します。
「緑の茶葉を緑のままに」と、長い歴史のなかで幾度となく改良が重ねられてきた茶箱は、湿度の高い日本の暮らしにぴったり。いちじつでは、暮らしになじみやすい1キロと5キロのサイズをお取り扱いしています。
かつては日本のどの家庭にもあった、暮らしの道具。機能の高さは、歴史が保証済みです。きちんとつくられた茶箱は100年近くもつといわれます。日々を快適にする相棒として、あなたの生活にもぜひ迎えてください。